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ことのは。

マンガとか、ことばとか、コミュニケーションとか、つれづれとか。

意識のはっきりしない状態から退院まで。マンガ「死んで生き返りました れぽ」 村上竹尾 著

去年だったかに買った本です。改めて読み直してみました。

脳血管障害・・・・ではなく、不摂生極まりない生活が元で、糖尿病の他数々の合併症を発症し、心停止にまで至った作者が、pixivで書いていたマンガ。

 

何かの情報サイトで取り上げられていて、最初はネットで読んだのですが、本になったときに買いました。

 

改めて読んでも、診断名の数々がすごい。

生活の不摂生から、重度の糖尿病、横紋筋融解症(筋肉が溶ける)、急性腎不全、敗血症、高アンモニア血症、脳浮腫などなど・・・・・数々の合併症を併発して心停止にまで至るが、奇跡の回復をした著者。本のあとがきに、主治医からのメッセージがあって、退院後も定期通院すると病棟のスタッフから「奇跡の人」と呼ばれていると書いてありました。

 

脳浮腫を発症する前に、著者は一度一般病棟に移ります。友達の看護師さんが、

「こんな病気して、ICUに入って普通の出口から出れることってすごいことやねん」

 

 あぁ、そうだな。

ICUって、すごく人の生死の展開が速い(んだと思う)

そして、いつもスタッフ同士で接しているときと、患者さんに向き合うときは、スタッフ一人一人違うんだと思う。

 

中の人の認知がわかりやすい。

 

奇跡の回復とはいえ、かなりの重度症状および脳浮腫も発症したため、せん妄、記憶障害、言語障害視覚障害などな脳機能障害もきたしたとのこと。

 

いつも外からしか見たことがないせん妄や高次脳機能障害の世界を、著者が視覚的に表現してくれたこと、そして、うまく言語化できないときに「中の人」が何を感じていたか。

 

 

スタッフの対応に感じていたことも描かれている。

この本では障害を受けながらも著者が、何を感じていたかが描かれています。スタッフの接し方や、家族のことば。おそらく、後で伝聞した部分も多いのだけど、著者自身がしっくりしたのかな、という内容が描かれているのかな、と。

 

認知症の方は、言葉の内容は理解していなくても、肯定的な言葉をかけられているのか、否定的な言葉をかけられているのかは感じられるし、その感情は覚えている、といいます。人間の根本的な部分、恐怖とか安堵とかを感じる部分の機能の大きさを考えたものです。

 

医療や福祉、教育に関わる人は、自分が、どういう接し方をしているか、を客観的に捉えられる機会が必要だと思います。手技ももちろん大事かもしれないけれど、自分の存在が、目の前にいる方にとって肯的な存在であること、人間の尊厳を大事にした接し方ができているかって、すごく大事なことだと思うのです。勘違いしてはいけないのは、それは何かを「してあげる」ということではない。

 

ちょっとずれますけど、「こんなに、あなたを愛しているのに」のセリフは、勝手に思いが募って、空回りしてるだけで、相手はあまりちゃんと受け取ってなくて伝わってないってことを示していますね。

 

だけど、人は、どこかで「やったことへの見返り」があることで、次につながる気もする。「ありがとう」がその人のパワーゲージに貯まるから、別のことに力を注げる。

だから、大事なのは、うまく「マッチングしているかどうか」なのだと思うのです。

 

もし、自分ができない、と思ったら、できそうな人にお願いする。その変わり、自分が合いそうなときは、自分が担当になる、みたいな柔らかさも大事かな、と。誰でも「合わない」になっちゃダメですけどね。

 

続編も出版されたみたい。

続編が発売されたみたいです。どうやら、退院後の後遺症についてのようです。

レヴューでは賛否両論?なのかな、と思ったら、何やらあったんですかね?でも、作品の良さと、個人の感情は別物ですからね。

 

なんか、広告か何かでちらっと中身が紹介されていたシーンが、弟さんが「見えている」という著者に線分を2等分させていて、がっつりずれていた場面でしたけども。

また、読んでみます。